音故知新 on-ko-chi-shin

TAKAHIRO KONASHI official blog

頼もしい後輩たち

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先週の土曜日は、私の母校である文教大学吹奏楽部の学生さんたちに学校まで来てもらい、吹奏楽部の楽器ごとのパートレッスンをしていただきました。私も約15年ほど前にこの文教大学吹奏楽部に所属していましたが、15年たった今でも、良い伝統が受け継がれ、なおも発展を続けていることは、先輩として大変嬉しい限りです。

子どもたちも、毎年この文教大学の学生さんたちが教えに来てくれることを、とても楽しみにしているようです。5月のレッスンということで、基礎の基礎を教えてもらうだけでしたが、普段は味わえない大学生とのふれあいに、今回も大きな刺激を受けたようです。(かつては、この交流をきっかけに小学生のうちから文教大学に入ることを決め、6年後本当に入学して吹奏楽を楽しんでいる教え子がいるほどです…。)

コンクール全国大会などに向け、自分たちの演奏の技術を磨きつつも、このように地域の音楽文化の発展のため、後進の子どもたちの面倒までしっかりと見てくれる…そんな心の広さを持ったこのバンドでの経験が、今の自分の音楽活動の原点となっています。

 突然ですが、頑張っている後輩たちに代わり、ここで演奏会のお知らせです。

文教大学吹奏楽部 サマーコンサート2014>

 日時:6月28日(土)15時開場、16時開演

 場所:さいたま市文化センター大ホール(南浦和

 チケット:S席¥1,000、A席¥800、B席¥600

 曲目:・2014年度吹奏楽コンクール課題曲より

    ・長生淳 委嘱作品

    ・愛をフィルムに焼き付けて(構成:文教大学吹奏楽部)

 ※チケットはチケットぴあで取り扱っています。詳しくは吹奏楽部HPまで

 

うーん、「愛をフィルムに焼き付けて」かぁ。指揮者である佐川聖二先生の思いがひしひしと伝わってくるようなタイトルですね。去年も子どもたちを大勢連れて南越谷まで見に行ったのですが、演奏の素晴らしさに子どもたちも巻き込んで、スタンディングオベーションまでしてしまいました…。今年の演奏会場はさいたま市文化センターとのこと、学校から近いのでまたみんなで見に行きたいと思っています。

  

Evernote活用のススメ

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みなさんは、Evernoteエバーノート)というソフトウェア、あるいはインターネットのサービスをご存じですか?日常にある様々な情報をコンピューター上に記録、集約し、人間の「第2の脳」をめざす、いわば「個人用のドキュメント管理システム」のようなもので、世界中で1億人以上の人が活用しています。

このEvernoteは、一つの情報を「ノート」という単位で記録し、それをノートブック(フォルダーのようなもの)やタグなどで分類、管理します。私も、このサービスを3年ほど前から使っているのですが、生活する上でのあらゆる情報をこのevernoteに記録していますので、ノート数は現在4,000、ノートブックは150近くにのぼっており、今では、これがないと生きていけない(←大げさ)くらい、このサービスの「第2の脳」化が進んでいます。

このサービスのいいところは、

クロスプラットフォーム(OSを選ばす、専用ソフトがある)であること、

②一度記録した情報は、クラウドを通して、どの端末でも最新の状態に保たれること。

③専用ソフトが無料であること。

④メディアの種類(PCのファイル、紙媒体、音声、映像…)を問わず記録できること。

⑤1ヶ月に記録できる容量は決まっているものの、記憶できる総容量はほとんど無制限であること

などを挙げることができます。そして、何よりサービス全体に「シンプルさ」を貫いていることが、私を惹きつける大きな魅力の一つにもなっています。

私がこのサービスの凄さを実感しているのは、特に仕事の面においてです。学校現場ではとかく、紙ベースの情報が散乱しています。今までは、配られた紙はすべてファイリングし、机のいたる場所を占領していました。しかし、このソフトを使うようになり、配られた書類はドキュメントスキャナですぐに読み取り、元の紙は潔く捨てるという習慣をつけてきました。(無論、個人情報に関するものはこのサービスには取り込まず、紙ベースのまま保管しますが)その結果、教員になって今まで成し得なかった、「机の上滑走路状態」がここしばらく続いているのです。

このEvernoteは徹底的に情報を集約する、ということで大きな力を発揮します。何か必要な情報を探す時、真っ先にこのEvernoteの中を探せば良いからです。逆に情報を中途半端に入れてしまうと、あまり見なくなり、続かなくなってしまうことが多いようです。先ほど「生活する上でのあらゆる情報」と書きましたが、自分が作成しているノートブックの一部を下に挙げてみます。

ライフログに関するもの>

 「食事ログ」「日々の健康(歩数など)の記録」「貰った手紙・葉書、メール」

 「病院受診録」「Web、新聞、雑誌で気になった記事」「思いついたアイデア」等

<仕事に関すること>

 「板書記録」「研究会参加記録」「指導案録」

 「校務分掌ごとのノートブック…配布文書や会議録などを収めるもの」など

<趣味、その他に関するもの>

 「現世リスト(!)…死ぬまでにやりたいことを記録しておく」

 「飲み会記録」「神社お祭り備忘録」「購入したものの説明書」など

 

慌ただしい日々の生活の中でも、少しでも生活や物事をシンプルにしたい、と思っている人にはあると大変便利なサービスであると思います。


Evernoteの基本的な使い方 Windows編 - YouTube

 

 

音楽教育駆け込み寺のHPができました。

<久々の投稿になってしましました。相変わらずです…>

熱田庫康先生が主宰し、私が参加している音楽教育の研究会、「音楽教育駆け込み寺」のHPができました。熱田先生よりHPの作成を依頼され、試行錯誤をしながら作ったのですが、シンプル(←これ、大事)で見やすいHPに仕上がりました。熱田先生のような偉大な音楽教師が、このようなHPの中で先生のお考えや授業のネタなどを披露してくださることは本当に嬉しい事です。これからも、HPのメンテナンスに関わりつつ、先生から多くを学んでいきたいと思います。(こちらのブログは…(汗)…。ゆったりといきたいと思います…。)みなさんもぜひHPを覗いてみてください!!

 

リンク…音楽教育駆け込み寺ホームページ

 

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授業のスピード感②

だいぶ御無沙汰になってしまいました…。合間をぬって続けることって難しいですね。少なくとも自分はこういうことを続けるのが難しい性格だ、と最近ようやくわかってきました…m(_ _)m。

 

授業のスピード感を保つ心がけその1「児童の言葉に反応しすぎない」

 

これは誤解を生むかもしれないので先に言っておきますが、決して児童の言葉を聞かない、ということではありません。いかに授業に必要な発言を拾い上げるか、ということです。教師と児童の人間関係が構築されていくと、子どもたちは様々な発言をしはじめます。授業に真面目に取り組み、核心にせまる“つぶやき”をする児童もいれば、「この教師はどの程度までやってOKなのだろう?」とわざと挑発的な発言をしてくる児童もいます。経験が浅いと、どうしてもその一つ一つを聞きすぎて、授業の停滞を招いてしまいます。特に低学年の児童は語彙力が乏しいために「うんとねーうんとねー」とついつい話が長くなってしまうのです。その間に他の児童はガヤガヤガヤ…よく起こりがちなパターンです。必要なことは、授業の進行に必要な発言をいかに拾い上げるか。そのためには、いい発言を見極める、教師としての耳を鍛える必要があるでしょう。そして授業に関係ない発言は意図的にスルーする…これができてくると、児童は「この先生はいい加減なことは聞いてくれない」と受け取り、真面目に発言するようになります。

…な〜んだ、こんなの当たり前のことじゃない、と思うかもしれませんが、これってすごく重要なのになかなかできないものです。みんなの言葉を拾い上げてあげたい…教師なら誰でも思う純粋な気持ちなのでしょうが、よい授業を作り上げるために時には心を鬼にしないといけませんね。

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授業のスピード感

私が授業で常に心がけていることの一つに「授業のスピード感を守つ」がある。これは音を扱う学びである音楽の授業では非常に重要であり、授業の規律を整えるという意味においても必要不可欠な条件であると考えるのだ。私がICTを研究し、最新の機器をリサーチしているのは、主にこの授業のスピード感にいかにそれらの機器が役立つかを考えているからなのである。

私は以前、こんな授業を見たことがある。それは、ある大きな音楽教育の研究会の研究授業でのことだ。何十人もの見学者が見守る授業の途中、子どもたちの演奏を録音したものを聴いてみようとした時だった。ー向に機器から音が鳴らない。この聴き合いが、この授業の重要なターニングポイントとなる筈だったために慌てる授業者、そして、ざわつき始める子どもたち…。それから後の展開がどうなったかは言うまでもない。見学者が皆、「やっちまった、可哀想に…」と思った出来事だった。授業者としては悔んでも悔みきれなかったであろう。

では、何がいけなかったのか。私はそれを調子の悪かった機器のせいにするのはプロ意識に欠けると思っている。子どもたちにとって、授業は一生に一度きりの大切な経験だ。教師側の都合で授業が止まり、学習効果が薄れてしまうことほど悲しいことはない。ましてやこのような大舞台での授業では、このような事態に備えてバックアップの機器を用意しておくべきだった。授業の内容を吟味することと同時に、このような機器を活用するのであれば、あらゆる事態を想定して準備をすべきなのである。

そして、もう1つ。子どもたちからしてみれば、教師がこのように機器の操作にまごついている時間は、絶好のおしゃべりタイムになるということである。余程訓練された子どもたちでなければ、黙っていることは困難であり、「しゃべるなー!!」と怒鳴ることになる負のスパイラルに陥るのだ。授業にスピード感をつけることは子どもたちに隙を与えず、適度な緊張感を生み、授業を成功に導く重要なカギとなるのだ。

そんなわけでこのブログでは、私が授業のスピード感を守つために機器を活用するにあたり、心がけていることを書き記しておこうと思う。
 
↓現在の音楽室のピアノ周り。

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音楽教育の勉強会に参加「音楽教育駆け込み寺」

小学校の音楽専科の教員は孤独である。市や県の大きな研究会で他校の音楽専科の教員と会う機会がないわけではないが、音楽専科の仕事について情報交換をする時間は少なく、学校内では孤立無援で一人で悶々と考える場合が多い。このような状況で自分も試行錯誤を繰り返しながら今に至っているわけだが、何とかそんな先生方の思いを結集し、自分たちで勉強する会ができないだろうか、と考えていた。
 そんな折、一昨年ご家庭の都合により惜しまれながら退職され、さいたま市で後進の指導に当たられている熱田庫康先生が、「音楽教育駆け込み寺」と名付け、一人で悩む音楽の先生方のために勉強会を開くことを知り、早速伺うことにした。
 熱田庫康先生は、さいたま市で長年教鞭を取られ、授業はもとより、合唱指導、管楽器指導等、音楽教育全般において、埼玉県、そして日本をリードして来た方である。教員になってすぐの頃に先生に初めてお会いして以来、私はこの先生のようになりたい、と自分の教師の理想像にしてきた方だ。その先生がお忙しい中、ご自分の時間を割いて、私たち後進の勉強会を開いてくださるという。私たち現場の教員の気持ちを理解し、このような会を開いてくださる先生のお気持ちを本当にありがたく思う。
 進行は熱田先生がコーディネーターをされ、授業の中での様々な話題(悩み?)について、参加した先生方からアイデアを出し合ったり、熱田先生の豊富な経験の中からご講話をいただいたりする形で行われた
 本日の主な話題は
  ①様々にアレンジされたクラシックの曲を教材化する方法
    ・威風堂々第1番
    ・ハンガリー舞曲第5番
    ・交響曲第5番「運命」
   …これらの曲を利用しアレンジされた曲や映像を授業でどう活用するか?
 
  ②音楽室は何をするところ?(熱田先生のご講話)
    「聴く」「つくる」「歌う奏でる」をいつ楽しむの?…「今でしょ!
 
 参加されたのはさいたま市の若い先生がほとんどだったのだが、熱田先生は今後県内の同志の先生方にも声をかけ、さらに実りある会になれば、と考えていらっしゃるようだ。…というわけで、この記事を見て、「私も参加してみたい!」と思われた方はこのブログのコメントにて御連絡ください。いっしょに勉強しましょう!
 

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私と神社

このブログのタイトル「音故知新」の「故」はなぜ神社なのか、不思議に感じた方もいらっしゃると思います。勤務校の同僚には話していることなのですが、実は私は神職、つまり神社の神主の資格を持ち、神社に務めていることになっているのです。

務めているとはいっても、もちろんそれが本業なわけではありません。八百万(やおよろず)の神社の中でも、その神社だけを仕事として生活できるのはそう多くはないのが現実です。お寺とは違い、村にある普通の神社の仕事だけでは、とても家族を養うことはできないのです。
私が奉職しているのは、宮城県角田市に鎮座する「住吉神社」です。1300年代の室町時代に創建され、私の先祖が代々「社家」(神社を継ぐ家系の家)として、神社を守ってきました。10年ほど前に父がそれ以前神主を務めていた祖母から受け継ぎ神主になったのですが、考えるところあって、昨年8月、自分も神職の免許を取得し、父の傍らで祭事の手伝いをすることになったのです。父がまだ健在で自分は日々忙しいはずなのに、なぜ神職の資格をとるつもりになったのか…それは3つの理由がありました。
 一つは昨年40となり、人生の(約)折り返しを迎え、残り半分の人生をプランニングしようとした時に、この資格が必要であると感じたからです。定年を迎えた時に新たに加わる自分の役割、いわば第2に人生ともいうべき新たな道への下準備を、体の動く今のうちにしようと考えたのです。実際、昨年夏休みの約1ヶ月、國學院大學で資格取得のための修行を行ったのですが、体力的にかなり辛いものでした。老人となってからでは、かなりきつい修行なのです。
 2つ目の理由は、一昨年3月の東日本大震災により、自分の愛してやまない美しい故郷、宮城の地が地震津波、そして原発放射能事故により大きな被害を受けたことです。その惨状を見るにつけ、微力でも自分にできることがないだろうか、と真剣に考えました。そして、第2の人生では神職として、社家としての自分の役割をまっとうし、土地の安寧を祈願していくことが、自分に課せられた使命である、と感じたのです。
 3つ目は、神道の「神」についての考え方が、自分の宗教観、倫理観、価値観に合っていることに気がつき始めたことです。神道の考え方では、神は土地のあらゆる場所に存在しており、いわば自然そのものが「神」であり、偶像は存在しません。(近代に入り、神道国家神道として軍部に利用され、敗戦後はGHQの指導により悪いイメージが植え付けられてしまいましたが、元々神道とは、日本人の道徳観や美的感覚そのものというべきものであったのです。)普通に生える木1本にも、虫けらにも、そしてトイレにまでも神様が存在し、そのすべてが我々の生活を見守っている…だからそれらすべてを大切に扱わなければならない…物事の価値観が多様化する現代の国際社会において、日本人が持つこの道徳観、価値観は、世界に誇れる美的意識であり、大切にしていかなければならない、と感じたのです。
 …と、大げさなことを言っているのですが、まだまだ修行を明けたばかりで、神職になったとはいっても、お祭りの時だけ手伝うだけのビギナー神主です…。これから少しずつ少しずつ、神社からの学びを、本業の実践にも活かしていきたいと考えています。
 
住吉神社(よろしければ、Facebookも訪ねてみてください…全然更新していませんが…。)

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